35年振りに帰ってきた父の手紙
今はパソコン、スマホの普及によって、手紙を書くことがめっきり少なくなりました。
しかし大切な事をお願いしたり、厚意を戴いた時の御礼は、極力、手紙を書くようにしています。それも京都の老舗「鳩居堂」の便箋と封筒を使っています。この和紙の便箋に書くと、下手な字もうまく見えるのです。
明治40年生まれの父は、これはという時には、巻紙に墨で認めていました。決して奇麗な字ではなかったのですが、書き込んだ自分流の字ですらすらと書いていました。
その父の手紙が、なんと35年振りに手元に帰って来たのです。
昭和62年に横浜に住む姪に出した手紙です。昭和63年に社殿を新しく造り替えましたが、その寄進に対してのお礼状でした。その手紙が親戚の家で30年余眠っていたのです。
発信したのは9月、「虫の鳴声も聞かれ初秋の感じが日一日と深く」と時候の挨拶から始まり、感謝の意が切々とつづられています。その父が亡くなって30年余になりますが、読んでいると、父が帰って来たように思われます。先代宮司の社殿建て替え工事への篤い思いをひしひしと感じました。また自筆の手紙を書くことの大切さを、教えてくれているようです。
これからも、鳩居堂の便箋にせっせと書くことにしましょう。
そう言えば、「硫黄島からの手紙」という映画がありました。アメリカ軍との激戦地・硫黄島で玉砕した日本兵が、家族に宛てた数百通の手紙が現地で発見されました。それをクリント・イースト・ウッドが映画化し、61年ぶりに家族の元に届いたという映画でした。私の義叔父も硫黄島で戦死しました。