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宮司が最近思ったことや
いま考えていることなど。

愛おしい「はる」さんのお墓

コロナウィルスの蔓延によって、様々な生活スタイルが変化しました。
その一つに、亡くなった方を送る葬儀も大きく変わりました。密集を避けて短時間にお参りをすませ、故人を偲ぶ弔辞もここ二年ほど聞くことはありません。

ただ、こんな悲しさは、現代人だけが味わっている訳ではありません。
大村市内の山中に写真のような小さな墓石が、ひっそりと残っています。墓石には
「下小路口はる 弘化三年四月二十六日」と彫られています。
大村市内・竹松の下小路口に住んだ「はる」という女性のお墓です。この女性は、今でいう感染症の疱瘡(天然痘)にかかり、疱瘡小屋に収容され手当の甲斐もなく、弘化3年(1846)4月26日に亡くなりました。江戸時代末期のことです。

江戸時代、亡くなれば必ず檀那寺から戒名をもらうことが定められていました。しかし「はる」さんには戒名はなく、俗名だけが記されています。感染症による死亡であったために、お寺に戒名の手続きをする暇もなく、おそらく葬儀も行われず、埋葬されたのでしょう。
墓石は30センチ程、彫られた文字はたどたどしく、素人が彫ったものと思われます。おそらく家族か誰かが急いで彫り、小路口から背中に担いで運んだのかもしれません。

下小路口の「はる」さん、どんな女性だったのでしょうか、何歳で亡くなったのでしょうか、知る由もありません。感染症のためにひっそりと見送られた女性がいたことを、この墓石は伝えています。愛おしいお墓でする。

この時の疱瘡は、2年前の弘化元年(1844)から発生し、少なくとも2年間は続いています。現在のコロナウィルス、ただただ一日も早い終息を願い、祈るばかりです。

山中の「はる」のお墓