「琴湖の日月」復活
富松神社のホームページができました。神社からいろんな事を発信して参ります。
このコラム名の「琴湖の日月」、実は30年ほど前に大村藩の歴史を「琴湖の日月」として、長崎新聞に100回にわたり連載しました。そのタイトルにちなみます。琴湖(きんこ)とは大村湾の美称、身近に見える大村湾のような、そんな身近な事の独り言です。
オリンピック、パラリンピックが終わりました。感動しました。パラリンピックは特別の思いで観戦しました。
私の16才年上の姉は、小学校1年生の頃から視力を失い全盲となりました。早くから盲学校の寄宿舎に入りましたから、一緒に生活したことはありません。しかし夕食時になると、母が私に「ミーちゃんのカゲゼン」を据えなさい言いますから、お盆に炊きたてのご飯と伊勢エビの殻をのせて、食卓に準備するのです。ミーちゃんとは姉のことです。いつもご飯と伊勢エビの殻、それをカゲゼンといって、本人はいないのに準備するのです。
江戸時代の文書に「陰膳」という文字を見つけたのは、20才を過ぎた頃でした。遠方にいる人にその家で用意するお膳のことを、陰膳と知ったのは、その時です。
母の思いがその時に分かりました。寄宿舎生活をしている我が子に、一緒に食卓を囲むように、毎日、食事を準備していたのです。陰膳、今は歴史用語となりましたが、我が家では昭和30年代まで生きていました。
パラリンピックを観戦しながら、母を姉を偲びました。