神社にも新旧の風
4月に入ると各地から入社式・入学式の便りが聞こえてきます。桜の時期は新しい門出の時期でもあります。私の初孫も東京の会社に入社して憧れの東京生活、この前は横浜まで自転車で行ったと、中華街の大きさに驚いたと電話してきました。
神社にも新旧の風が入りました。
30年間、禰宜(ねぎ)職を務めた久住呂氏が、定年一年前にして勇退しました。一言で言えば職人神主さんでした。手先も器用、墨字も上手、雅楽の先生、お祭りも丁寧。
夜ともなれば、大学時代からの「神主小唄」、さだまさしの「案山子」と絶妙の声、それはそれは楽しい神主さんです。
奉職して間もなく、氏からある提案がありました。七五三詣での時に社殿の前に竹の祝い門を作ったらどうかと。数日すると、その精巧な模型を作ってきて具体的に示すのです。こうして生まれたのが、現在の七五三詣でとお正月の社殿前の祝い門です。
氏が務めた禰宜(ねぎ)という言葉は神社用語で、耳慣れない言葉です。語源は「神様をねぎらう」から来ています。神様の側近くに仕えてお世話する役です。同氏の30年間は将にこの「ねぎらう」奉仕ぶりでした。
禰宜職は離れますが、今後も嘱託の神職として勤めてくれます。
新しい風も入ってきました。大村市北部の「松原くんち」として、秋祭りが盛んな松原八幡神社の若宮司・渋江氏が、権禰宜(ごんねぎ)として奉仕する事になりました。昨年には地元の子供達と共に、子供神楽を創始して八幡神社に奉納するなど、新進気鋭の神主さんです。朝からの境内掃除、掃除道具を持って階段を駆け上がる瞬間を目撃。頼もしい若衆です。
老宮司と言えば、声の張りも衰え、足腰はフラつき、風など吹かせそうにありません。