丙午(ひのえうま)の俗信
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お正月も終わり、年末から新年にかけての社務を整理する時期になりました。
過去40年間の参拝者数の一覧表を見ていると、ある事に気づきました。
平成18年は、男性41才で行う厄入(やくいり)の数が、前後の年と比べると100件ほど減少しているのです。
なぜなのか。実は昭和41年生まれの男子青年が、41才の厄年を迎えるのが平成18年でした。この昭和41年という年は子供の出生率が非常に低く、通年より25%ほど減少し、学校でもクラス数が1クラス、・2クラス減となりました。
その波が神社にも押し寄せ、平成18年には厄入祈願者数の減少となったのです。
なぜ昭和41年には子供の数が少なかったのでしょうか。実はこの年は干支(えと)で言う丙午(ひのえうま)の年です。
江戸時代、江戸の八百屋お七という女性は、恋い焦がれる男性に会いたいばかりに、火付けし(放火)、その罪で処刑されます。その「お七」が丙午年の生まれであったために、丙午生まれは「気が強い、おてんば」という俗信・迷信が生まれました。「それは大変だと」、丙午には子供を産むことをひかえるようになったのです。
何と、その丙午の俗信が昭和41年まで生き続けたために、出生率が低かったのです。次の丙午は4年後の令和8年に巡ってきます。どうなるのでしょうか。この現代社会に丙午の俗信は、まだ生き続けているのでしょうか。見届けたいものです。
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