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宮司が最近思ったことや
いま考えていることなど。

実は私も聖火ランナー(伴走者)でした

秋風が吹き始め、8月・9月のオリンピック、パラリンピックに燃えた日本列島も、その感動が少しずつ覚めつつあります。この時期だからこそ白状します。私も昭和39年の東京オリンビックの聖火ランナーだったのです。ただし伴走者です。

その時の聖火ランナーは、トーチを持った正ランナーの後に、20名程の伴走者が続きました。正ランナーは高校生のお兄さん、伴走者の殆どは中学生、私は中学2年生でした。

走った区間は大村駅から大村公園の間の一部でした。炎を上げるトーチには、特殊な燃料が使われ、後続の私たちにはその燃料の独特の匂いが漂ってきました。今でもその匂いは鼻中のどこかに残っています。沿道には沢山の人、人。緊張しました。

その時に着た短パンとランニングシャツを、母が大事に保管してくれていました。

それを五十数年ぶりにあけ、当時の写真を見ていると、娘が殊の外感動し、その時の写真をラインで流したようです。すると孫から早速「おじいちゃん、すごい」と返信が来ました。

あれから57年、当時の勇姿は何処へやら、足腰がフラつく老境となりました。しかし、一旦、箒(ほうき)を持つと豹変するのです。雨が降ろうと、風か吹こうと、暑かろうと、寒かろうと、毎朝、境内の掃除に励んでいます。掃除を終えた境内を振り返ると、何とも爽やかなこと。あと数年はもちそうです。

伴奏者として
父と共に