長崎空港の箕島には13戸の生活が
現在、長崎空港となっている箕島には、かつては13戸の家、大村小学校の分校、市杵島神社(いちきしまじんじゃ)などがあり、島民70名の暮らしがありました。
霜が降りない温暖な気候から、蜜柑や大根などの良質な農産物に恵まれ豊かな島でした。箕島大根は沢庵漬けにされ、戦前には樽詰めで中国大陸にも出されています。
そこに海上空港建設の話がもち上がり、島民達は島を離れ、市内各所に移住する事になります。
昭和47年4月1日付の市政だより「おおむら」には、島の解散式と分校廃校式の様子が伝えられ、児童代表の尾崎正治君が、「本校でみんなに負けないよう頑張ります」と誓ったと記されています。
市杵島神社も、箕島が富松神社の氏子区域であった関係から、当神社の境内に遷され、鳥居、石段の石材、石灯籠も船で運ばれ当時のままに移設されています。
10月20日に行った市杵島神社の秋祭りには、旧島民の方々が集われました。箕島を離れて49年、廃校式で頑張ると誓った尾崎正治君は、もう60歳を過ぎた「おじさま」になっておられます。
こうして世代が替わっても、また箕島を離れて住む処が異なっても、年に二度、春と秋には島ゆかりの神社に集い、箕島の頃からの絆を更に深められています。
市杵島神社は富松神社の社殿の地より一段高い所にあり、うっそうとした森に包まれています。お参り下さい。